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カナダ大悲山東漸寺建立の因縁

 1977年(昭和52年)11月カナダB.C.州大22回仏教信徒大会(浄土真宗本願寺派)が、キャムループス仏教会の当番で開催され、特別招請講師として、日本国浄土宗西山派の和歌山県極楽寺住職橋本随暢(私)が招かれたのです。この時、私を団長とする30名の訪加団(内10名の僧侶)が初めてカナダへと心を弾ませたのでした。
 カナダキャムループス仏教会では、移民百年以来の初めての大盛会となり、大変お騒がせ致したのでした。当日はバンクーバー仏教会、スティブストン仏教会、ケロナ仏教会と、北米仏教団の代表、そして遠く東のトロント仏教会からも参加され、日加合同の大会となって、キャムループスの街は、前夜祭から、仏教徒一色の盛儀でした。

宿縁

 「流れを汲む者はその水源(みなかみ)を思い、花を愛ずる者はその根に培う」と言うことばがございますが、何事もたどっていけば過去遠々と限りない原因と衆縁があって、今日、只今にいたっていることが、仏法という真理の教えであります。
 私がキャムループス仏教会の大会に招かれるまでには、その時からさかのぼること20数年も前からの記憶が甦って参ります。
 即ち、第二次世界大戦当時、カナダから、日本へ引き揚げられた和歌山県日高郡印南町光川に田端まさえさんというお方がおられました。このお方は熱心な仏教徒で、私が毎月観音様のご縁日にご法話に招かれた、光川観音寺へご聴聞に来られ、同じ同行衆のお一人として信仰を深めておられたのです。
 戦後のことでした。ご主人が他界されて、息子達の住むカナダへ再度帰られたところが、三男が住むキャムループス市でした。
 同じ市内の日系人は、親戚以上のお付き合いがあり、その中の一人、田中千津子(旧姓池添)さんが、1976年(昭和51年)日本へ約1ヶ月里帰りされた時、田端まさえさんの消息を聞いていました。「橋本先生にわけてよろしくとのことでした。」と。お年はもう80歳近くになっておられ、近頃白内障で少し目もお悪い様子です。屋外へも出られることなく、ベッドで休まれている日常ですとのお話を伺って、私の心に思いついたのが、信心深いおばあさんだからと、私が西岩代光照寺さんの五重相伝で5日間勤めたお説教の録音テープ7巻をお土産にと、田中千津子さんに託けたのでした。
 その後、長文のお礼状がまさえおばあさんから届いたのです。
「勿体ないことです。ベッドで先生のご法話を毎日聞かせてもらって、今済んだ分は、家の三郎も嫁も聞いて、一巻ずつ、キャムループス仏教会のメンバーの家々に廻しています。」とのことでした。私はなによりも、法話のお土産に気づいたことが良かった、こんなに喜んで下さって、と満足していたのです。
 この事が直接のご縁となったのは、丁度その年、田端三郎さんが仏教会の会長をされて、第22回仏教信徒大会(4年ごとに輪番制で受け持つ大会)を来年受け持つ事になっていたので、キャムループス仏教会、当時の開教使不ニ川往来先生や、役員会での計画立案で、特別講師はこのテープの先生にということが決定され、仏教会から西山浄土宗宗務総長(当時 頼松祥倫師)と、極楽寺檀徒総代井口綱氏、それに本人の私宛に3通の招請状が同時に送られて来たのでした。

感動の対面

 仏教信徒大会、そして団体30名の引率、記念法話と、2日間のキャムループス市内では息つく暇もないほど、私にとってはテンヤワンヤでした。いよいよ別れの時が来たのですが、どんなに忙しくても、こんなご縁を頂いたきっかけは、田端のおばあさんとの出逢いがあったればこそ、でしたから田端さんのご自宅へ僧侶の同志10名だけ連れ立って面会に行き、ベッドの間で毎日、朝夕礼拝されているお仏壇に向かって、10人の僧侶とともに、勤行式でお勤めのご挨拶をしました。
 小さな箱型のお仏壇に、ご主人清太郎様と、戦死されているご長男、そしてまさえおばあさんのご母堂様の位牌がお祠りされていました。
 勤行式でのお勤めが終わって、私は何十年ぶりかで、まさえおばあさんと向かいあい、握手を交わしました。
 お勤めの最中から泣き通しのおばあさんは、
「私ら、お寺に行っても、なんとなくお経に馴染めないが、今日は懐かしい西山派のお勤めを頂いて、こんな嬉しいことはない。」と私の手を握ったまま放されないのです。「もう帰るんかい。毎日、待って待っていたのに。一晩くらい泊まってくれんのかい・・・。早う会いたかった。もう帰るんかい。」と。
 私はこの涙に感動して、この勝縁、一回限りでは済まされない、是非改めて、もう一度ゆっくり訪加しようと、その時心に決めたのでした。
 団体のスケジュールがありますからと、10名の僧侶達と田端さんのお宅を辞して、西海岸のサンフランシスコへと下ったのでした。

再度のご縁

 1978年(昭和53年)6月、再び訪加させて頂くことになり、初回の仏教信徒大会で結ばれた仏縁で3つの仏教会(スティブストン仏教会、キャムループス仏教会、ケロナ仏教会)からご法話を頼まれました。私は、法施することを生甲斐にしていますから、お布施は頂きません。それは仏教会の為に、信徒の方々の為にお使いくださいと一切拝受することを断り続けました。
 3つの仏教会はとても距離が遠く、スティブストンからキャムループスまでは飛行機で40分かかりました。また夜の法座に、キャムループスからケロナ仏教会堂までは約300キロ、田端、田中兄弟の車で、日本ではとても考えられない猛スピードで走ってくれました。夜の法座が終わって、キャムループスまで帰ると、夜半の午前2時ごろでした。
 「仏法弘まれかし」、「人々の心に信仰の火を点じたい」の一念で、私の法話のご縁が次から次へと続くのです。
 そしてこの時、私が平素日本で頂いたお布施の中の、言わば私の自由になるお金をカナダ仏法の為にと、ご喜捨させて頂いたのです。
 それから、明けて1979年(昭和54年)田端三郎氏等ご夫妻が故郷印南町へ来日された時にも、私にとっては大金でしたが、これも法の為だからとご喜捨、ご夫婦はお預かりしますと、お持ち帰り頂きました。
 この年、私の大先輩、大阪府泉南郡岬町深日、宝樹寺の土井歓照師に初回以来の状況を報告致しましたところ、カナダに仏法を弘めると言うことは大変なことだよ、日本に仏教が初めて伝来した時、百済の聖明王が、最初、経巻(お経典)と仏像を先に運ばれたのだから、来年は(昭和55年)高祖善導大師の千三百御遠忌に当る記念すべき年だから、仏像だけでも先にカナダへ奉持させてもらったらどうか、とのアドバイスを頂いたので、是非そうしたいとの思いが募ってきて、その為には、バンクーバーやキャムループスの法友にお願いして、仏像を来年奉持するからあなた方のお家にお預かりして下さいと、前もって頼んでこようと、その年(昭和54年)の暮れ、単身訪加したのでした。
 

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